不義理チョコ
昨日、4月1日は世界的にエイプリルフールでありました。
欧米では「エイプリルフール」、日本語では「4月馬鹿」、漢語では「万愚節」「愚人節」などと言われるそうであります。「愚人節」とはすばらしいネーミングだなあと感心しつつ、いざ「嘘をついてもいい日だよ。」と言われましても、ジョークやユーモアのセンスに欠けている日本人にとりましては、「ああ、今日から年度変わりだなあ!」ぐらいにしか、4月1日の認識はございません。むしろ・・・。
新社会人。新1年生。新学期。新年度。そんなスタートの日に「嘘」なんて・・・。そう思うのが日本人の日本人たるゆえんであります。ところが・・・、いつ頃までかは定かではありませんが、我が日本では、
4月1日が「日頃の不義理を詫びる日」だったのだそうです。
「日頃の不義理を詫びる日」?????こんなにすばらしい慣習が何故「嘘をついてもいい日」になってしまったかはさて置いて。日頃の不義理を公然と詫びることができる大変すばらしい日があるのならば、私のような愚人には必要不可欠な日なのでございます。年に1度と言わず、週1でも構いません。
例えば、「母の日」「父の日」(もっとも父の日は影が薄いですが)愛の告白、「バレンタインデー」等々、まるでサラダ記念日のように「○○の日」は365日の中に沢山ございますが、その記念日に向けて、創造し、準備し、サプライズを演出するのが、「絆」を深め、個々を再認識する絶好のチャンスであります。サプライズをする方も、される方も、気構えというものがございます。「母の日」であれば、子供たちは、普段立ち寄ることも無い花屋の店先を行ったり来たりしながら、母の喜ぶ顔を思い浮かべ、カーネーションに視線は釘付けであります。勇気を振り絞り「カーネーション下さい!」と店員さんに告げられた者だけに、母の喜ぶ顔は訪れます。私なんぞ、意気地が無い上、そんなのちゃんちゃらおかしいやってなもんで、気持ちはあっても、花屋の店先はおろか、ただの1度もカーネーションなんて母に送った記憶はございません。「親孝行したい時には親は無し」とはよく言ったものであります。
一方、母はといえば、(子を持つ親になったから言えるのですが)「母の日」にわざわざカーネーションなんかいいのに。と言いつつ、かすかな期待に胸を膨らませるものであります。これが「バレンタインデー」ともなりますと、はっきり言って送ったモン勝ちであります。なにしろ母親に対する子供の数は、戦時中ならいざ知らず、「産めよ増やせよ」と少子化担当大臣が言ったところで、1.25人であります。ところがヒーローに対するファンの数は、太古の昔から1対多数というのが世の中のしくみでありまして、おまえばかりが何故モテる。と、モテない男がひがんでみても、義理チョコ貰っていそいそと食すのが関の山であります。
さて、エイプリルフールですが、私に言わせりゃ何も4月1日じゃなくたって「嘘」「ホラ」「偽り」の類いはエブリデーでありまして、こんにちは、ハロー、アニョハセヨ、ジャンボ、と同類であります。言ってしまえばひとつのご挨拶なわけで、改まって「嘘をついてもいいよ」と言われましても、小心者の私としましては、当然、大それた嘘などつけるわけも無く、大それた嘘を考えいるうちに静かに陽は落ちて、4月2日になってしまうのであります。
がしかし、「日頃の不義理」であれば、枚挙にいとまがございません。例えば・・・、を、列記することは諸般の事情により割愛させて頂きますが、これも私の小さなシアワセを守る手段だと、ご理解頂ければと思うのであります。
いっそのこと4月1日の「日頃の不義理を詫びる日」を復活させて、この日は不義理をした人が、された人に謝罪の意味で不義理チョコを渡す、なんてのは?渡された人は1年間の不義理をチョコ1個で全て水に流し、笑って新年度を迎える。とても建設的且つ平和的な日になると思うのでありますが、いかがでしょう?これには深い深い意味がございます。仏教だろうが、キリスト教だろうが、イスラム教だろうが、はたまた無宗教者であろうが、いかなる宗教にも囚われず、ひざまずいて懺悔し、許しを乞う。すばらしいと思うのですが・・・。
かくゆう私は、たったひとりでも4月1日を「日頃の不義理を詫びる日」に制定したいと思います。
「おっと、今年はもう終わりだから、早く4月1日が来ないかなあ!」・・・と、ほくそ笑む。
不動産部 加藤 一史