アサッテ父ノ日?
子供より親が大事、と思いたい。
太宰治の小説「桜桃」の書き出しであります。本日2009年6月19日は太宰治の生誕100年でありまして、だから何だ、と言われればそれまででございますが、私が小学生の頃、「走れメロス」でヒトを信じることの尊さを教わったことからしますと、個人的に感慨深いものがございます。毎年6月19日には桜桃忌が行われ故人を偲ぶ日であります。私も青森にある太宰治の生家「斜陽館」を訪れた経緯がございますので、会ったことのない、ひぃひぃおじいちゃんの命日のようでもあります。
「桜桃」は実は現代社会に生きるお父さんたちの共通の苦悩を短編小説にしたものであります。勿論私もそうですが、子供が10歳を過ぎますと生意気を吐くようになります。加齢臭なんて言葉を誰が造ったのか知りませんが、「おとうさん臭い」ってなことを面と向かって言われますと返す言葉も無く、ひるんでしまうあたり、娘の方がウワテなのであります。日常的に被虐の言葉をぶつけられておりますと、「そんなに臭いのかなあ」と、そっちを心配してしまう脆弱な父なのであります。
我が子に好かれるよう、いや、せめて嫌われないように常に気を張り詰め、その分仕事で気を抜き、今度は上司に怒鳴られ、行き着くところは赤ちょうちんであります。ところが景気の悪さは小遣いに直結しているわけで、それすら月1いや2ヶ月に1度になり、じゃあ・・・世のお父さんは何を楽しみに生きていけばいいのでありましょう。
一緒に考えてみて下さい。例えば、行き着けの飲み屋にて、常連客のおすそ分けでケーキが出たとします。まあ普通、ケーキが嫌いじゃない限りペロリと頂くことでしょう。しかし、太宰治はそのケーキを食べながら、子供たちに食べさせて上げればきっと喜ぶだろうなあと考えます。言われてみれば父親として当たり前なのですが、そう考えてしまった瞬間から、好物をいかにもまずそうに食べ、我が子が気になってしょうがないのであります。中学生の娘に臭いと言われ、小学生の息子にEXILEって知ってる?とバカにされ、唯一味方のはずの女房には存在さえ無視され、全国的に父の日が明後日だということをこいつら本当に知っているのか?
かくゆう私も日々苦悩する父親のひとりであります。
ああ・・・子供より親が大事、と思いたい。 いや、ヒトを信じる尊さを思い出さなければ「走れ、父ちゃん」
合掌
不動産部 加藤一史