二度寝ノススメ
先日、Ⅰ様の新築戸建の決済に行って参りました。希望に満ちた人生の新たな出発のお手伝いを
微力ながらさせて頂いたと思うと、福沢諭吉さんを数える私の手も緊張で震えるのでありました。心なしか福沢諭吉さんもにこやかなお顔をされていた気がしたのは私だけでしょうか。
さて、福沢諭吉といえば「学問ノススメ」ですが出版当時、人口3600万人の日本の中で22万人(160人に一人の計算)が読んだといいますから、福沢諭吉じゃなくてもニンマリです。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」とはいいますが、世間様がGWだの、ETC1000円乗り放題などと歓喜の日々の中、私はと申しますと仕事との格闘であります。(うらやましがってもいられませんが)
そんな私ですが休日の唯一の楽しみといえば「二度寝」であります。太古の昔から「朝寝、朝酒、朝湯」は贅沢の極みとオハラショウスケさんがおっしゃる通り、私、睡眠に人生の3分の1をかけていると
言っても過言ではありません。いや、「二度寝するために起きる」と言っても過言ではありません。
ウチにはピー子とシー子というインコがおりますが、彼らがピーチクパーチクと起き出すのが早朝6時前、夜明けと見るや「さあ、俺達いや私達の出番だぞ」とばかりに、合唱が始まります。
おそらく、1日の中で彼らが一番輝きを放つ瞬間なのでありましょう。私には「お前ら、みんな起きろー」
と言っているように聞こえます。・・・がしかし、その彼らの野望を打ち砕くがごとく、私は彼らより早く、いや、その彼らを起こすことに傾倒しております。そう、学校に1番に行って勝ち誇った顔をして自己満足している少年のように・・・。
彼らが寝る時、鳥かごに布を被せるのですが、私が彼らより早く起きて、ゆっくりとその布を剥ぎますと、大震災でも来たようにピーもシーも白目をむいて(実際には白目ではありませんが、あくまでも表現上)「やられた!!」いや「しまった!!」というような感嘆を漏らすのであります。
まあ、ピーとシーのことはあまり「二度寝」とは直接的な関係はないのですが、私の早起きの起因のひとつであります。じゃあ何故早く起きるのか?それは生理現象ゆえ、または明らかな老化現象ゆえ誰もが毎朝経験する、いわゆる「おしっこ」であります。前夜より私の下腹でじっと暖められた
「小水」は、言ってしまえば私がピー子たちにするように、私を「意地悪に起こす」のであります。
放水、いや放心状態の私は起きるやいなや、一番直線的な位置をたどってトイレまで歩み、楕円形の便器のそのまた内側のちっちゃな水溜り目掛けて、渾身の放物線を描きます。若干糖分を含んでおりますから、黄色いのはご愛嬌。不健康のバロメーターでございます。ブクブクと泡立つ様はバブルの、我々にとりまして一番おいしい時期を彷彿させるのであります。・・・でもって1回目の「シアワセ」を味わうのです。
なにはともあれ、とりあえず目覚めてしまったからには、私ひとりじゃ寂しいので(早朝5時半ですから)テレビを点け、わけもなくテレビに相づちをうったりしながら、女房が起きるように仕向けます。しかし敵もさること、いやそこは私の女房ですから、「何年あんたと一緒にいるの」ってなもんで、涼しい顔をするから、見上げた根性であります。しかしその根性も5分と持ちません。私にはピー子とシー子という強い味方がおります。大好きなハコベや小松菜などをちらつかせてやれば、そりゃもう啼くこと啼くこと。生後2ヶ月の赤ちゃんにも匹敵するパンチ力が炸裂です。
かくゆう、女房は金縛りにでもあったように「うぅ、うぅ」と呻きにも似た低い声を発し、正真正銘の白目を剥いております。
私が朝風呂から出ると食卓には私専用の早朝食が並びます。(早朝食とは宇宙食と朝食の相の子と考えて下さい)子供たちは学校が休みなので100%夢の中であります。私が朝食を平らげ、食後の一服をくゆらす頃には満腹感で2回目の「シアワセ」が訪れます。満腹になりますと、当然眠気も訪れます。出勤日であれば、老体に鞭打ち、出勤とあいなるわけでありますが、休日とあらば、たとえ女房に「勝手なヒト」と揶揄されようとも、たとえウシになろうとも、マイ布団に直行です。3分後、かくして3回目の「シアワセ」が訪れるのであります。
「二度寝」の夢枕には「うらめしやあ、うらめしやあ」と女房が登場するのは、言うまでもありません。
そういえば福沢諭吉さんはこう申しておりました。「世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事」だと・・・・。
不動産部 加藤一史