今日は何の日?
今日、10月1日は年度の後期の始まりであります。1月1日、4月1日、に次いで気持ち新たかな日なのであります。伊勢の赤福さんでは毎月1日、ツイタチ餅が店頭に並び、一種の縁起物として、古くから親しまれております。
10月1日の歴史をひも解きますと、1889年(明治22年)に、我等が「名古屋市」が発足したそうなのでありまして、何故か10月1日は市町村の統廃合や新設が多く、千種、中村、昭和、熱田、中川、港の各区も10月1日発足であります。東海道新幹線も昭和39年の今日ですし、名古屋市役所本庁舎が完成しましたのも、昭和8年の今日であります。
・・・で、本日のお話ですが、実は・・・、本日、娘の体育祭でありまして、ただ単にその話をしたいだけなのであります。わざわざ、大業な前置きで始まり、「名古屋市」発足の話まで引き合いに出すあたりが、私の真骨頂でございます。いや、まさに親バカであります。
本当は9月30日、昨日のはずでしたが、生憎の雨により、本日に順延であります。私にとりましては恵みの雨でありました。昨日であれば、どうしても仕事を抜け出せない状況でありましたので、今日のような、秋晴れに、体育祭決行となれば、二重の喜びであります。
そんなわけで、本日はあらかじめ、半休をもらい、ビデオカメラ、デジタルカメラ、三脚、折畳みの椅子、そして競技のプログラムを携え、いざ出陣であります。
前作で申し上げましたが、娘はこの日のために、筋トレを慣行し、更に、ジョギングをメニューに加え、早朝5時よりトレーニングに勤しんだのであります。(延べ50日余り)勿論、私も子供たちのコーチと自身のダイエットを兼ねまして、毎朝、娘たちに付き合う日々でありました。
「老体に鞭打つ」という言葉がございますが、私の肉体はメリメリと音をたてて壊れていきます。それに反比例するように、子供たちはメキメキと音をたてて、走りが上達するのでありました。
娘が出場するのは、スウェーデンリレーと障害物リレーでありまして、どんな競技なのか?今日の今日まで、娘に訊くことはございませんでした。(そここそがバカ親子の浅はかさでありました。)リレーなのでありますから、バトン若しくはタスキを受け継いで行く競技だとは、おおよそ見当はつきます。障害物につきましては、人生の荒波のごとく、数々の障害を乗り越えて行く・・・のも、想像の域であります。・・・しかし、「スウェーデンリレー」???なんだそりゃ?・・・でも、まいっかぁ。でありました。
最終調整を本日の朝5時より行い、なんとなく「胸騒ぎ」いや「嫌な予感」がしまして、娘に初めて訊いたのであります。「スウェーデンリレーってどんな競技?」娘は答えます。「ただのリレーだけど、次に走る人ほど距離が伸びて行くの。」「で、おまえは何番目?」「2番目」「2番目って何メートル走るの?」「私は50メートル。」・・・・・・???はああああ?ごじゅうめーとる?おまえ小学生じゃないんだから。っていうか、50メートル走るために、毎朝5時起き?しかも、よくよく訊くと、50メートルの内、20メートルはバトンゾーンで、正味30メートルしか走らない。とういことなのであります。・・・トホホ。
それでも、そんなこんなでスウェーデンリレーは1位でバトンタッチし、娘のチームは1等賞でありました。
障害物リレーはアンカーを務め、(実はこれも本日訊いたのですが、最終障害の跳び箱を娘は跳べないそうでして、ハードル、平均台、跳び箱すべて苦手だそうで、何故?アンカー。何故?障害物リレー。なのか、ますますもって娘を理解出来ません。)
案の定ビリッケツでありました。娘は、数日前に女房に言ったそうです。「800メートル走にすればよかった。」そりゃあ毎日2キロほど走っておりますから、誰が考えたって、そういう答えになるわけで、何故?もっと早くそれに気付かなかったのやら?それでも、何事にもめげないことが唯一の得意技でありますから、笑顔だけは1等賞でありました。
よーし今日はツイタチ餅でも買って帰るかな!
不動産部 加藤 一史