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3億円

昨日12月10日は公務員をはじめ、大多数の方がボーナス支給日でありました。こんな御時勢でありますから、減額や現物支給なんてこともあって、これまた大多数の方が辛酸を舐めたことでしょう。心中お察し申し上げます。

さてそんな折、中学1年の娘に「今日って、3億円事件の起きた日だよね?」と訊ねられ、あぁ、確かにそうだったなあと、時効の頃の記憶が甦ったのであります。しかし、何でそんなこと知ってんだ?と思いつつ、女房は女房で、「だから3億円事件って、12月10日に起きたんだあ」と感心しておりました。事件が起きましたのが、女房の生まれる前ですので、無理もございません。と言いますか、私だけが昭和の生き字引のようで、いつでも青春の2文字が胸の前で燃えたぎっていたあの頃は、とうの昔に忘却のかなたに儚く消え去り、娘たちに小遣いをせびられる時こそが、私の唯一の存在価値であることを、身を持って痛感させられるのであります。

3億円事件は昭和50年に時効を迎えましたが、あの時私は中学2年でありました。誰が書いたか、後ろの黒板には時効まであと何日とカウントダウンまで登場し、当時は犯人が英雄視されたりもしたのであります。いまだに犯人は現れず、伝説的な犯罪になったのは、周知の事実であります。
今でも3億円は大金であることには間違いございませんが、年末ジャンボで運がよければ、手にすることも夢ではありません。昭和43年当時、初めて1等1000万の宝くじが登場し、世間をあっと驚かせましたが、30回も当てないと3億円にならないことから考えますと(それには人生が100回あっても追いつきませんが)、とんでもない強奪事件だったことが分かります。

そうやって時代というものは移ろうものでありますが、自分が生きている間に常識が変わっていくというのは、いささか寂しくもあり、また便利でもあります。モンタージュ写真は防犯カメラの本人の写真へと変遷し、DNA鑑定なるものが確立し、髪の毛や汗で犯人が特定できます。トランシーバーから携帯電話になり、アマチュア無線はインターネットになり、海外旅行は大金持ちの道楽でしたが、今では年間に2000万人もの人が海外旅行すると言いますから、たった30年、40年の間に、日本が外国になってしまったようであります。横文字は氾濫し、日本人なのか外人なのか名前だけ見たら、全く分からない歌手が大半であります。ハンバーガーなんてテレビの中だけの食べ物でありましたし、マックもケンタッキーも日本には存在しない時代であります。ビフテキは贅沢の極み、それでもデパートの食堂でお子様ランチを無心で食べたものであります。今どき「ビフテキ食いに行くぞ」なんて言ったが最後、家長としての威厳など瞬時に消え去り、娘にさえ、もう過去の人扱いされるのは必至であります。青鼻を垂らし、ほっぺは真っ赤にひび割れ、ひざ小僧にあてをしたズホンを履き、凧揚げなんぞする光景は、今では見ることは到底あり得ません。(あの頃は寒かったなあ)もっとも、電線も今ほどありませんし、空き地もそこら中にありましたので、遊び場に、事かくことはありませんでしたが・・・。果たして平成時代、駒回しや凧揚げをやったことのある子供がどれだけいるのでありましょうか?

かくゆう、私の子供時代の方が、いや、昭和時代の方がとってもシアワセだったと思うのであります。塾通いなんてクラスに数人しかおらず、トップを目指す特別な奴らだけでありましたが、今では塾通いしないなんて奴は、底辺を極める奴らだけであります。勿論、我が娘も親の子でありますから、今風に言うならマイノリティを極めておりますのは、言うまでもございません。それでも、ゴルフがうまいとか、英語がしゃべれるとか、唄がズバ抜けてうまいとか、料理が得意だとか、何か特別なモノがあれば世間の大海原を渡って行けると思うのですが、特技が馬の耳に念仏とあらば、何を言っても動じることはございません。
果たして、大物なのか?大馬鹿なのか?平成の時代が終わる頃、結果は見えてくるのでしょう。何があっても次の時代を担うのは宿命でありますので、国会で「記憶にございません。」なんて言えるくらい馬の耳に念仏を極めて欲しいものであります。

あぁ私も小遣い毎月1500万円なんて親の元に生まれりゃなあ!・・・と、娘の反撃が聞こえてくる前に、「あーあ、宝くじでも当んねぇかなあー。」・・・と、愚痴をひとつ。

不動産部   加藤一史

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