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2010/05/22 A様邸改修工事
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ご迷惑をおかけしまして、大変申し訳ありません。
よろしくお願い申し上げます。
2010/05/09 ゾーン(奇蹟)
「机上の空論」という言葉がございます。はたまた同意語に「砂上の楼閣」というのもございます。辞書をくくればお分かりになりますが、理論上可能なことであっても、絶対に実現不可能なことを申します。若者風に言えば「ウッソぉ~ありえなぁい。絶対無理!」ってな感じになるでしょうか?
ところが1週間程前、理論上可能なことであっても、絶対に実現不可能なこと、が実現してしまったのであります。・・・・和合の芝の上で!
弱冠18歳。無敵の18歳。(こんな息子が欲しい)石川 遼君であります。彼の人生には怒涛のごとく「奇蹟」が訪れます。いや、我々凡人にしてみれば「奇蹟」であっても、彼にしてみれば、ごく普通のことなのかもしれません。凡人には凡人のものさししかございませんが、超人には超人だけのものさしが備わっているのでありましょう。芝の上の遼君と司馬遼太郎に何か関係があるのかどうか?は一切存じ上げませんが、今や押しも押されぬトップスターであることには間違いございません。まさに雲の上の人、うん?坂の上の雲?なのであります。
私が子供の頃、その名も「プロゴルファー猿」なんていう漫画がございまして、木を削ったドライバー1本持って、アプローチからパットまでこなしてしまう文字通り漫画なストーリーの漫画でありました。
池越えならぬ、崖越えをしてみたり、高層ビルのような絶壁のバンカーが現れたり、ある意味、ゴルフを冒涜するようなひたすら笑える「奇蹟」ショットのオンパレードでありました。(注、連続でいいところ、わざわざオンパレードを使っております。)勿論、漫画だから面白いのでありますが、なにもかもバディーじゃ漫画にしたって面白くございません。それどころか、興醒めであります。
ところがこれが現実とあらば、どれだけ完璧な芝居よりも、観客は引き込まれてしまうのであります。アプローチはことごとく2メートル範囲に付け、よしんばアプローチに失敗しても遼君には伝家の宝刀チップインがございます。とにかく、からむからむ、絡むと申しましてもタンではございません。ピンであります。18ホールのうち、12ホールでバディー。遼君の言葉を借りれば「ゾーンに入る状態をあまり知っている人はいないと思うけど、バーディを獲っていく度に落ち着いていきました。」ということになるのでありますが、「ゾーン」これぞ超人だけに訪れる「奇蹟」でございます。
辞書を引用致しますと「ゾーン」とは、地帯。区域。範囲。とあります。ということは、奇蹟の起きる区域に遼君は居たことになるのであります。遼君の「超人」たる由縁は、「ゾーン」に自分が居たことを自覚していた点にございます。「バーディを獲っていく度に落ち着いていきました。」凡人であらば、万が一「奇蹟」が起きそうな時、当然のことながら舞い上がるのであります。舞い上がってその結果、見事しくじるのが関の山、事が進むにつれ、落ち着くなんて「ウッソぉ~ありえなぁい。絶対無理!」なのであります。
っていうか、ゾーンに入る状態?なんて知っている人いらっしゃるでしょうか?クライマーズハイとか、ランナーズハイとか言いますが、私にはせいぜいナチュラルハイぐらいしか分かりません。先日も芋焼酎のおかげで見事ゾーンに入りました。落ち着いていく代わりに、眼が座っていったのは言わずもがなでございます。
私は考えました。「ゾーン」を知るには、自分の持っている限界を突き抜けなければならないのじゃないかと。限界を突き抜ければ、それはもう限界ではなくなって、次の限界が待っている。次の限界までの範囲が「ゾーン」なのではないかと。勿論、私のような凡人以下の人間には、限界はおろか、一寸先すら闇なのでありますから、生きているうちに限界を知るようなことが起きるはずもございません。しかし、私の名誉のために敢えて言わして頂くのであれば、たったひとつ私にも限界をつぶさに見たものがございます。それは、・・・・「体力」であります。とうの昔に限界を越え、腹部に一局集中する脂肪と臨終を迎える死亡とは、少なからず「体力」との密接な関係において成り立っていることを、痛感するのであります。
努力の蓄積が限界への道であることは、私が言うまでもございませんが、努力したって遼君のように「人間ができている」「できた人間」には、なかなか成れるもんじゃございません。そこでどうすれば遼君のようになれるのか?私は無い頭で考えました。
色々考えましたが、・・・・なにをどう考えましても凡人には無理だと・・・。それはまさに、「机上の空論」であることを・・・・。
不動産部 加藤 一史
2010/04/09 ワンルームマンションの改装
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2010/04/02 不義理チョコ
欧米では「エイプリルフール」、日本語では「4月馬鹿」、漢語では「万愚節」「愚人節」などと言われるそうであります。「愚人節」とはすばらしいネーミングだなあと感心しつつ、いざ「嘘をついてもいい日だよ。」と言われましても、ジョークやユーモアのセンスに欠けている日本人にとりましては、「ああ、今日から年度変わりだなあ!」ぐらいにしか、4月1日の認識はございません。むしろ・・・。
新社会人。新1年生。新学期。新年度。そんなスタートの日に「嘘」なんて・・・。そう思うのが日本人の日本人たるゆえんであります。ところが・・・、いつ頃までかは定かではありませんが、我が日本では、
4月1日が「日頃の不義理を詫びる日」だったのだそうです。
「日頃の不義理を詫びる日」?????こんなにすばらしい慣習が何故「嘘をついてもいい日」になってしまったかはさて置いて。日頃の不義理を公然と詫びることができる大変すばらしい日があるのならば、私のような愚人には必要不可欠な日なのでございます。年に1度と言わず、週1でも構いません。
例えば、「母の日」「父の日」(もっとも父の日は影が薄いですが)愛の告白、「バレンタインデー」等々、まるでサラダ記念日のように「○○の日」は365日の中に沢山ございますが、その記念日に向けて、創造し、準備し、サプライズを演出するのが、「絆」を深め、個々を再認識する絶好のチャンスであります。サプライズをする方も、される方も、気構えというものがございます。「母の日」であれば、子供たちは、普段立ち寄ることも無い花屋の店先を行ったり来たりしながら、母の喜ぶ顔を思い浮かべ、カーネーションに視線は釘付けであります。勇気を振り絞り「カーネーション下さい!」と店員さんに告げられた者だけに、母の喜ぶ顔は訪れます。私なんぞ、意気地が無い上、そんなのちゃんちゃらおかしいやってなもんで、気持ちはあっても、花屋の店先はおろか、ただの1度もカーネーションなんて母に送った記憶はございません。「親孝行したい時には親は無し」とはよく言ったものであります。
一方、母はといえば、(子を持つ親になったから言えるのですが)「母の日」にわざわざカーネーションなんかいいのに。と言いつつ、かすかな期待に胸を膨らませるものであります。これが「バレンタインデー」ともなりますと、はっきり言って送ったモン勝ちであります。なにしろ母親に対する子供の数は、戦時中ならいざ知らず、「産めよ増やせよ」と少子化担当大臣が言ったところで、1.25人であります。ところがヒーローに対するファンの数は、太古の昔から1対多数というのが世の中のしくみでありまして、おまえばかりが何故モテる。と、モテない男がひがんでみても、義理チョコ貰っていそいそと食すのが関の山であります。
さて、エイプリルフールですが、私に言わせりゃ何も4月1日じゃなくたって「嘘」「ホラ」「偽り」の類いはエブリデーでありまして、こんにちは、ハロー、アニョハセヨ、ジャンボ、と同類であります。言ってしまえばひとつのご挨拶なわけで、改まって「嘘をついてもいいよ」と言われましても、小心者の私としましては、当然、大それた嘘などつけるわけも無く、大それた嘘を考えいるうちに静かに陽は落ちて、4月2日になってしまうのであります。
がしかし、「日頃の不義理」であれば、枚挙にいとまがございません。例えば・・・、を、列記することは諸般の事情により割愛させて頂きますが、これも私の小さなシアワセを守る手段だと、ご理解頂ければと思うのであります。
いっそのこと4月1日の「日頃の不義理を詫びる日」を復活させて、この日は不義理をした人が、された人に謝罪の意味で不義理チョコを渡す、なんてのは?渡された人は1年間の不義理をチョコ1個で全て水に流し、笑って新年度を迎える。とても建設的且つ平和的な日になると思うのでありますが、いかがでしょう?これには深い深い意味がございます。仏教だろうが、キリスト教だろうが、イスラム教だろうが、はたまた無宗教者であろうが、いかなる宗教にも囚われず、ひざまずいて懺悔し、許しを乞う。すばらしいと思うのですが・・・。
かくゆう私は、たったひとりでも4月1日を「日頃の不義理を詫びる日」に制定したいと思います。
「おっと、今年はもう終わりだから、早く4月1日が来ないかなあ!」・・・と、ほくそ笑む。
不動産部 加藤 一史
2010/01/28 ミカン
先日、ニュースでみかんについての話をしておりました。みかんは言わずと知れた冬の定番果物であります。こたつの上で家族団欒を演出し、女性のビタミン不足を補い、子供のおやつにも一役買う、大変優秀かつ便利な食べ物であります。がしかし・・・、異常事態と申しますか、世も末と申しますか、その消費量が20年前と比べると約半分になってしまったということであります。20年前は日本人1人あたり1年間で300個食べていたそうでありまして、今ではそれが150個にまで落ち込んだというのであります。
何も私は愛媛農家の回し者ではございませんが、みかんは箱で買う物という私の認識は、若い人には「おぉ、大人買い」と喝采を浴びるか?「あのオヤジ、頭おかしいんじゃない?」と嘲笑されるか?のどちらかであります。
それでは何故みかんが売れないか?でありますが、昨今の日本人のライフスタイルに起因するとのことであります。昔は居間に、こたつが当たり前。今はリビングに、ソファーと薄型テレビ。当然、ソファーはテレビを直視出来るポジションにありまして、家族全員がテレビを観る体勢を保ち、家族が向き合うなんてことが、ついぞ無くなってしまったのであります。で、その結果、みかんはリビングでは無く、ダイニングへと居場所を変えて、家族を静観するのであります。まるで「我が輩は猫である」の猫のようであります。
それから、女性の美に対する変遷であります。ヘアカラーにエクステンション、ネイルアートに美容整形。みかんと何の因果関係があるかと申しますと、・・・爪であります。
ご存知のように、みかんを食しますと指先と爪が黄色くなります。これがみかんの衰退の原因であります。つけ爪を剥がす可能性とみかんの消費を天秤にかけますと、せっかく数千円払ってネイルアートを施し、みかんにやられたのでは実も蓋もございません。ダイエットを取るか、食い気を取るかと相通ずるものなのであります。そもそも、苦労して食すから、うまさはより倍増するのでありまして、サウナで隣のオヤジより10秒でも長く我慢した後のビールは格別ですし、キャンプ地まで食材を積んで行って、薪で火を起こし、青空の下で食す肉の味たるや、言いようのない達成感さえ覚えるのであります。
すいかは種がめんどくさい、りんごは皮がめんどくさい、ぶどうはいちいちめんどくさい。そんなこと言ってたら、何も食えなくなるのであります。
芥川龍之介の小説にその名も「蜜柑」というのがあります。400字詰め原稿用紙10枚程の超短編小説であります。ある汽車に乗った中年のオヤジは、みすぼらしい13歳ぐらいの少女に気を止めます。発車ぎりぎりに乗り込んできた少女には悲壮感が漂っております。中年オヤジはそれを疎ましく思います。やがて汽車がトンネルに差し掛かったあたりで、少女は中年オヤジの席まで来て、窓を開けてしまいます。車内には汽車の放つ煙が中年オヤジと少女を直撃します。怒り心頭の中年オヤジは、少女を怒ろうとしますが、大人げないのでぐっと堪えます。そもそも何を考えて窓なんか開けるのか?中年オヤジは考えます。すると、窓の外の踏み切りに明らかにその少女の弟と思える3人の男の子が、汽車に向かって必死に手を振るのが見えます。中年オヤジは少女が丁稚奉公に向かう途中だと悟ります。少女は自分のために大事に持っていた5,6個のみかんを弟達に窓から投げてやります。
・・・こんな切ない小説なのでありますが、みかんを甘くみるな!と私は言いたいのであります。爪が黄色くなるから・・・。などと言っておられる貴兄、この少女の爪のあかでも煎じて呑ませてやりたい!
不動産部 加藤一史
2009/12/11 3億円
昨日12月10日は公務員をはじめ、大多数の方がボーナス支給日でありました。こんな御時勢でありますから、減額や現物支給なんてこともあって、これまた大多数の方が辛酸を舐めたことでしょう。心中お察し申し上げます。
さてそんな折、中学1年の娘に「今日って、3億円事件の起きた日だよね?」と訊ねられ、あぁ、確かにそうだったなあと、時効の頃の記憶が甦ったのであります。しかし、何でそんなこと知ってんだ?と思いつつ、女房は女房で、「だから3億円事件って、12月10日に起きたんだあ」と感心しておりました。事件が起きましたのが、女房の生まれる前ですので、無理もございません。と言いますか、私だけが昭和の生き字引のようで、いつでも青春の2文字が胸の前で燃えたぎっていたあの頃は、とうの昔に忘却のかなたに儚く消え去り、娘たちに小遣いをせびられる時こそが、私の唯一の存在価値であることを、身を持って痛感させられるのであります。
3億円事件は昭和50年に時効を迎えましたが、あの時私は中学2年でありました。誰が書いたか、後ろの黒板には時効まであと何日とカウントダウンまで登場し、当時は犯人が英雄視されたりもしたのであります。いまだに犯人は現れず、伝説的な犯罪になったのは、周知の事実であります。
今でも3億円は大金であることには間違いございませんが、年末ジャンボで運がよければ、手にすることも夢ではありません。昭和43年当時、初めて1等1000万の宝くじが登場し、世間をあっと驚かせましたが、30回も当てないと3億円にならないことから考えますと(それには人生が100回あっても追いつきませんが)、とんでもない強奪事件だったことが分かります。
そうやって時代というものは移ろうものでありますが、自分が生きている間に常識が変わっていくというのは、いささか寂しくもあり、また便利でもあります。モンタージュ写真は防犯カメラの本人の写真へと変遷し、DNA鑑定なるものが確立し、髪の毛や汗で犯人が特定できます。トランシーバーから携帯電話になり、アマチュア無線はインターネットになり、海外旅行は大金持ちの道楽でしたが、今では年間に2000万人もの人が海外旅行すると言いますから、たった30年、40年の間に、日本が外国になってしまったようであります。横文字は氾濫し、日本人なのか外人なのか名前だけ見たら、全く分からない歌手が大半であります。ハンバーガーなんてテレビの中だけの食べ物でありましたし、マックもケンタッキーも日本には存在しない時代であります。ビフテキは贅沢の極み、それでもデパートの食堂でお子様ランチを無心で食べたものであります。今どき「ビフテキ食いに行くぞ」なんて言ったが最後、家長としての威厳など瞬時に消え去り、娘にさえ、もう過去の人扱いされるのは必至であります。青鼻を垂らし、ほっぺは真っ赤にひび割れ、ひざ小僧にあてをしたズホンを履き、凧揚げなんぞする光景は、今では見ることは到底あり得ません。(あの頃は寒かったなあ)もっとも、電線も今ほどありませんし、空き地もそこら中にありましたので、遊び場に、事かくことはありませんでしたが・・・。果たして平成時代、駒回しや凧揚げをやったことのある子供がどれだけいるのでありましょうか?
かくゆう、私の子供時代の方が、いや、昭和時代の方がとってもシアワセだったと思うのであります。塾通いなんてクラスに数人しかおらず、トップを目指す特別な奴らだけでありましたが、今では塾通いしないなんて奴は、底辺を極める奴らだけであります。勿論、我が娘も親の子でありますから、今風に言うならマイノリティを極めておりますのは、言うまでもございません。それでも、ゴルフがうまいとか、英語がしゃべれるとか、唄がズバ抜けてうまいとか、料理が得意だとか、何か特別なモノがあれば世間の大海原を渡って行けると思うのですが、特技が馬の耳に念仏とあらば、何を言っても動じることはございません。
果たして、大物なのか?大馬鹿なのか?平成の時代が終わる頃、結果は見えてくるのでしょう。何があっても次の時代を担うのは宿命でありますので、国会で「記憶にございません。」なんて言えるくらい馬の耳に念仏を極めて欲しいものであります。
あぁ私も小遣い毎月1500万円なんて親の元に生まれりゃなあ!・・・と、娘の反撃が聞こえてくる前に、「あーあ、宝くじでも当んねぇかなあー。」・・・と、愚痴をひとつ。
不動産部 加藤一史
2009/11/06 アリガトウ、マツゥーイ!
M・V・P!M・V・P!
昨日ヤンキースタジアムは興奮と歓喜の中、スタンディングオベーションで「M・V・P」をひとりの日本人に向けて連呼しました。言わずと知れた松井秀喜であります。それは彼が野球からベースボールに夢を膨らませ、大きな大きなその夢を掴み取った瞬間でもあります。
私は彼の大ファンであり、プロ野球の大ファンであります。
私が彼を知ったのは星陵高校時代の甲子園です。私が30歳の頃であります。対明徳義塾戦、5打席連続敬遠。勿論、前代未聞の出来事でしたが、打たれるリスクを回避するには敬遠策はセオリーであります。それは、彼が絶対に打ってしまうという懸念から来る最良の戦術のはずでした。彼の可能性を封じ込めるには、その方法しか無かったと明徳義塾の監督は言っています。「高校生の中にひとりだけ、プロが入っていた」相手の監督にそう言わしめる彼の無限の可能性に惚れ込んでしまったのであります。1回もバットを振らずに敗戦する悔しさを思うと、恥ずかしながらもらい泣きしてしまうのでありました。
実は彼のプロ1号ホームランを東京ドームのライトスタンドで目撃しているのであります。巨人対ヤクルト戦7月。年間20試合以上は野球場に脚を運ぶプロ野球ファンでありますから、山本昌の200勝であるとか、槙原のパーフェクトゲームであるとか、江川のオールスター8連続三振であるとか、私はナマで目撃しているのであります。
私もあの頃30歳、不動産業に従事して間もない頃でありました。彼のプロ、スタートと私の不動産業スタートをダブらせるのはおこがましいのですが、事実でありますから仕方がありません。
彼のプロ1号を敵である古田敦也氏は「星を持ってるね」と賞賛しておりましたが、「星」という言葉に過敏に反応してしまう「巨人の星」世代でありますから、大リーグボール養成ギブスを身に付けて日々過ごしていたかどうかは知りませんが、努力に努力を重ねたことは容易に想像できるのであります。そして、あの5打席連続四球の悔しさを晴らし、プロとして生きて行くのろしの1発でありました。
それから10年、「星」を更に輝ける「スター」にする為、バット1本持って単身、海を渡りゆく姿はまさにサムライであります。彼はヤンキースに入った当初こう言っています。「ヤンキースという球団は僕が居なくても優勝できる球団です。だからいつかマツイが居たから優勝できたと言われる存在になりたい」と。
そしてついに昨日彼はニューヨークの星になったのであります。
私のようにホコリまみれの人間と違い、彼は日本人の誇りであります。思えば、彼がヤンキースに入団した20代後半、私はやっとヤンキーを卒業。高校生の頃には前代未聞の不祥事ばかり。彼はと言えば、前人未到の記録ばかり。先生には「おまえの可能性はゼロだから」と言われる始末。いつか見てろと30年経ちましたが・・・・「言った通りだろ」ってな先生の声が聞こえてきそうであります。
そして・・・・・、アメリカで夢を掴んだサムライ、松井秀喜の声が聞こえてきそうであります。
「言った通りだろ!」
不動産部 加藤一史
2009/09/26 W様邸外部階段撤去工事
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2009/09/25 K様邸外部改修工事
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2009/09/25 M様邸屋根改修工事
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