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2010/12/11 もういくつ寝ると?
12月と言いますと、様々なイベントが目白押しでありますが、日本人ならばキリストの誕生日よりも、天皇陛下の誕生日ってなわけで、12月1日の愛子様を皮切りに、9日雅子様、23日天皇陛下、29日佳子様と天皇家の誕生日ラッシュであります。何故12月に集中しているかは、人類が10ツキ10カァで産まれることに起因致します。
客商売の世界では2月、8月をニッパチと申しまして、総じて暇な月とされています。日本では盆と正月が毎年やってくる関係で、自ずとそこに出費が集中します。、それ以外にお金を出せないという、中流階級の悲しい定めみたいなもんであります。・・・で、日がな家におりますてぇーと、12月には出産というはこびであります。2月に家に居ると、何が行われるかは、貴兄の想像通りでありますが、それもまた、自然の摂理から考えますと、世の中平和だなぁと、つくづく思うのであります。
1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)を第一次ベビーブームなんて言い方をしますが、これがいわゆる境屋太一氏の言うところの、「団塊の世代」であります。昭和24年には270万人もの赤ちゃんが産まれたといいますから、戦争が終わり、心と生活に少しだけゆとりが出来た・・・といことでありましょうか?平和のもたらす恩恵を統計で振り返ることができます。ちなみに、一次会があれば二次会があるのと同じで、第二次ベビーブームは70年代に巻き起こります。いわゆる「団塊ジュニア」であります。
当然と言えば、当然でありますが、昭和22年~、たった3年の間に800万人も人口が増えたわけですから、そこから20数年経てば、またベビーブームが巻き起こるのも自然の摂理であります。余談ではありますが、私の女房も1970年生まれでありますし、義母は団塊の世代であります。また、実母は12月29日生まれで、私は元日生まれでありまして、我が家は息子以外は女房も娘も1月生まれであります。だからなんだ・・・と言われれば異を唱えようもございませんが、2月、3月あたりは、加藤家運命の月、なのでありましょうか?これぞまさに「運のツキ」?ここで遭ったが100年目みたいな、言い回しではありますが、なんだか不思議な気がします。
師走の話が、出産の話に転じてしまいましたが、なんと言いましても今年の12月は東北新幹線「新青森駅」まで開通でありましょう。10月1日のブログに東海道新幹線が1964年(昭和39年東京オリンピック開催直前)に開通したと、書かせて頂きましたが、この日こそ、歴史に刻まれる1日であることは間切れもございません。新青森駅では、はねとが、ねぶたを踊って出迎え、りんごが飛ぶように売れたかは、定かではございませんが、青森にとりまして、明日へのいしずえになることは、私が言うまでもございません。
金の卵と称されました集団就職の時代。青森~上野まで、夜行列車で28時間掛かったと言いますから、3時間20分となりますと、下品な言い方で申し訳ございませんが、まるで糞してる間に着いちゃうってな感じでありましょうか?しかもファーストクラス並みの車両も有すると言いますから、私なんか、盛岡まで(女房の実家が岩手であります。)やまびこMAXの2階席に鎮座して、何とも言えぬその座り心地と対峙するにつけ、人知れず感嘆の涙を流したことを思い出しますと、そんな車両に乗りましたら、間違いなく失禁もんでございます。かえってケツの据わりが悪い事この上ないのであります。
かくゆう2010年もボチボチ終わりであります。LOVE AND PEACEを提唱するジョンレノンが亡くなり丁度30年が経ちますが、「愛」と「平和」がすっかり定着した我が日本でありますから、第三次ベビーブームが席巻致してもなんら不思議はございません。草食系やら肉食系やらと、日本男児が平和ボケする情けない時代ではありますが、統計でいけばバブル時代の終わり頃、第三次・・・は起こるはずでありました。しかし、未だ持って第三次・・・は起こらず、それどころか少子化に拍車が掛かる悪循環なのであります。
果たして来年こそは第三次・・・は、やって来るのでありましょうか?そこで提案であります。新婚旅行は東北新幹線で、雪の東北へ。寒さのあまり、お宿から出ることも間々ならず、日がなお宿でゆっくりとした時間を過ごし、温泉に浸かりながらLOVE AND PEACEを実践してはいかがでしょう?りんごのように、まんずめんこい赤ちゃんができること享け合いであります。
働けど働けど我が暮らし楽にならざり じっと手を見る・・・。石川啄木
もひとつ
ふるさとの山に向かいて言うことなし ふるさとの山はありがたきかな・・・。
不動産部 加藤 一史
2010/11/13 初ブログ
ネタが無く避けておりましたブログですが、諸先輩に負けてられません!ので
何とか頑張ります。。。
僕の故郷沖縄では、こちらでは考えられない〝コト〟が結構あります。
『ウチナータイム』
これは【沖縄じかん】で、とにかく時間にルーズです。
例えば、集合時間が19時だとしても、全員揃うのが大体20時。
「どうせ時間どおりに集まらないし・・・」とほぼ全員が思うので、結果1時間の遅刻は当たり前。
遅れてきた人は遅刻だと思わないですし、先に待っていた人も「想定内」ですので、
トラブルになる事もありません。
『タクシー通学』
僕が高校生だった約15年前。
学校への通学は〝タクシー〟でした。 セレブ??いや違います。
友達4人、100円ずつ出し合って400円。これで学校まで行けたんです。バス通学よりも安いんです。
何台ものタクシーが校門前に停車し、その中から学生服を来た若造が降りてくる。
今思えば、朝の校門前は〝異様〟な光景でしたね。
歩いて行ける距離だったんですが・・・
仕事とは関係ない内容でしたが、不評でなければシリーズ化を企んでいます!!
不動産部 宮城 正人
2010/11/11 名古屋港で初めばる
昨日はお休みだったので、夕方から名古屋港へ釣りに行って参りました。生憎いつもの釣りスポットは強い逆風が吹いておりましたので、場所を変えざるを得ませんでした。結局は風を背中で受ける9号地の東岸で釣りを楽しんでおりました。
1時間ほどシーバスを狙ってハードルアーを遠投しておりましたが、何も釣れません。風も強いし、冷たいし、他の釣り人も疎らになってきたので私もそろそろ帰ろうかと考え始めておりましたが、昨日はシーバス竿の他に、めばる竿を用意しておりましたので、めばるに狙いを変えてみました。
めばるは例年ですと、そろそろ名古屋港でも釣れ始めてもいい頃なのに、私は昨日まで1匹も釣っておらず、他の釣り人に聞いてみても、私の知る限りでは釣れたという話は聞いておりませんでした。めばるを釣るのをメバリングと言いますが、めばる独特の小気味の良い引きに魅了されて釣りにハマル人も多く、私もその中の1人です。名古屋港もメバリングのシーズンには釣り人で賑わいをみせます。 そんな説明はさておき、昨日の釣りの話の続きですが、ジグヘッドにワーム(重りの付いた針に柔らかい疑似餌)を付けて投げること3投めに、すっかり忘れていたあの独特の引きの感触が伝わってきて、釣り上げたのは久々のめばるちゃんでした。その1匹だけで感動してしまい24センチのめばるちゃんをリリースして納竿としました。めばるシーズンの幕明けです。また釣りの頻度が増えそうだ。
営業1課 筒井 浩史
[ スタッフのひとりごと::筒井浩史] [URL]
2010/10/30 生物多様性?
さて、人間ばかりでは、ございません。冬目前の動物たちにも、異常気象の魔の手が忍び寄る、というお話であります。
つい先日、福島県某所で、熊の親子が射殺され、射殺した猟友会や役場に、抗議が殺到しているそうでありまして、熊出没に震える市民と、だからと言って、殺しちゃうのは駄目だろう?という市民とで、関係者も困惑しているのだそうであります。
以前、名古屋市内に猿出没騒動がございましたが、あの時果たして、「殺しちゃえ!」なんて、思った輩が、おりましたでしょうか?あの時も、子供が咬まれたとか、引っ掻かれたなんて、ニュースでやっておりましたが、まさか、見つけたら殺しちゃえ、という発想には至らなかったのでは?むしろマスコミも明るいニュースとして、扱っていたものであります。アミや仕掛けを持った人間たちを尻目に、屋根から屋根へと、ゆうゆうと渡り歩く様は、立場の逆転した「猿の惑星」を彷彿とさせたのであります。きっと天空で神様は、我々人間を愚かしいと思っていらっしゃるに違いありません。
人間でさえ、食うのに困窮しております昨今でありますから、猿や熊が食べ物を探し回って山から下りて来ても、何もおかしくはございません。これぞまさに生物多様性でありまして、私が理科で習った知識では、生態系とも、弱肉強食とも申します。身につまされる思いではございますが、動物たちの生き残るための侵略は、人間社会の縮図と言っても過言ではございません。
話があらぬ方向に向かっておりますが、ご存知のように、冬場を迎える動物たちにとりましては、勝負の秋でありまして、この時期に十二分な食料を確保するか、若しくは、その体に蓄えるか、しませんと死活問題なのであります。人間も若いうちに、一生食って行ける環境を確保するか、若しくは、通帳に蓄えをするか、しませんと老後が大問題なのであります。
世界一の人口を誇る中国では、多様な食習慣がございます。熊の手は、珍味として、今でも食されていますし、(日本でも食べさせるお店があるそうですが。)犬肉は普通に食卓にあがり、猿の脳みそは、塩辛感覚で召されるそうであります。
イルカを捕獲するな!と、世界を敵にまわす日本ではございますが、その一方、キャットフードや、ドックフード先進国でもあります。戦後の闇市の頃であれば、もしかして犬肉も食したかもしれませんが、現代日本で犬を食す習慣は、聞いたことがございません。犬や猫はペットであって、家族同様に、いや、家族以上の扱いを受けます。某携帯電話会社では、お犬様が家長でありますし、30年近く前には、「なめんなよ!」と、学ランに、はちまき姿の猫が一世を風靡したものであります。さすがに私は、イルカを食べようとは思いませんが、給食で出た鯨の竜田揚げや、鯨ベーコンは、美味でありました。
文化の違いや、環境の違いは、いた仕方ございませんが、人間も動物も必死になって、生きるために、生きているわけで、食を求めてさまよう動物たちを、駆除する権利が我々人間にあるのでしょうか・・・?
♪ 生きてる 生きてる 皆 生きている ♪
不動産部 加藤 一史
2010/10/23 ルアーフィッシングでの出来事
先日名古屋港へ釣りに行った時の事、シーバス狙いでルアーを遠投しておりましたところ、2投目でルアーがプカプカ漂流中の牛乳パックに引っかかってしまいました。その牛乳パックは海水でいっぱいの為重たく、何とか岸まで寄せて来たのですが、シーバスロッドも折れそうで引き上げられません。あいにく網も遠くに置いてあったのでラインを持って引き上げたところ、左腕に妙な感覚が・・・・
視線を自分の左腕に移すと、さっきまで牛乳パックに引っかかっていたはずのルアーが何と私の左腕に瞬間移動しているではありませんか。その上ルアーが引力に逆らって腕から落ちないではありませんか。状況を把握するのに2~3秒かかりましたが、ラインを引っ張った勢いでそのルアーがはずれて私の左腕に刺さっていたのです。
不思議な事に、痛さよりルアーがぶつかった感覚しか残っておらず、暫しぶらさがったルアーを眺めることしか出来ませんでした。その後この状況を受け入れざるを得ず、刺さった針を抜こうとしましたが、針にかえしがついている為どうしても抜けません。その場から救急外来に指示を仰いだ結果、病院へ直行し切開してルアーをはずしてもらいました。
全くお恥ずかしいお話ですが、すべての釣りファンの皆様もそんな事にならないよう、お気をつけ下さいませ。
営業1課 筒井 浩史
[ スタッフのひとりごと::筒井浩史] [URL]
2010/10/01 今日は何の日?
10月1日の歴史をひも解きますと、1889年(明治22年)に、我等が「名古屋市」が発足したそうなのでありまして、何故か10月1日は市町村の統廃合や新設が多く、千種、中村、昭和、熱田、中川、港の各区も10月1日発足であります。東海道新幹線も昭和39年の今日ですし、名古屋市役所本庁舎が完成しましたのも、昭和8年の今日であります。
・・・で、本日のお話ですが、実は・・・、本日、娘の体育祭でありまして、ただ単にその話をしたいだけなのであります。わざわざ、大業な前置きで始まり、「名古屋市」発足の話まで引き合いに出すあたりが、私の真骨頂でございます。いや、まさに親バカであります。
本当は9月30日、昨日のはずでしたが、生憎の雨により、本日に順延であります。私にとりましては恵みの雨でありました。昨日であれば、どうしても仕事を抜け出せない状況でありましたので、今日のような、秋晴れに、体育祭決行となれば、二重の喜びであります。
そんなわけで、本日はあらかじめ、半休をもらい、ビデオカメラ、デジタルカメラ、三脚、折畳みの椅子、そして競技のプログラムを携え、いざ出陣であります。
前作で申し上げましたが、娘はこの日のために、筋トレを慣行し、更に、ジョギングをメニューに加え、早朝5時よりトレーニングに勤しんだのであります。(延べ50日余り)勿論、私も子供たちのコーチと自身のダイエットを兼ねまして、毎朝、娘たちに付き合う日々でありました。
「老体に鞭打つ」という言葉がございますが、私の肉体はメリメリと音をたてて壊れていきます。それに反比例するように、子供たちはメキメキと音をたてて、走りが上達するのでありました。
娘が出場するのは、スウェーデンリレーと障害物リレーでありまして、どんな競技なのか?今日の今日まで、娘に訊くことはございませんでした。(そここそがバカ親子の浅はかさでありました。)リレーなのでありますから、バトン若しくはタスキを受け継いで行く競技だとは、おおよそ見当はつきます。障害物につきましては、人生の荒波のごとく、数々の障害を乗り越えて行く・・・のも、想像の域であります。・・・しかし、「スウェーデンリレー」???なんだそりゃ?・・・でも、まいっかぁ。でありました。
最終調整を本日の朝5時より行い、なんとなく「胸騒ぎ」いや「嫌な予感」がしまして、娘に初めて訊いたのであります。「スウェーデンリレーってどんな競技?」娘は答えます。「ただのリレーだけど、次に走る人ほど距離が伸びて行くの。」「で、おまえは何番目?」「2番目」「2番目って何メートル走るの?」「私は50メートル。」・・・・・・???はああああ?ごじゅうめーとる?おまえ小学生じゃないんだから。っていうか、50メートル走るために、毎朝5時起き?しかも、よくよく訊くと、50メートルの内、20メートルはバトンゾーンで、正味30メートルしか走らない。とういことなのであります。・・・トホホ。
それでも、そんなこんなでスウェーデンリレーは1位でバトンタッチし、娘のチームは1等賞でありました。
障害物リレーはアンカーを務め、(実はこれも本日訊いたのですが、最終障害の跳び箱を娘は跳べないそうでして、ハードル、平均台、跳び箱すべて苦手だそうで、何故?アンカー。何故?障害物リレー。なのか、ますますもって娘を理解出来ません。)
案の定ビリッケツでありました。娘は、数日前に女房に言ったそうです。「800メートル走にすればよかった。」そりゃあ毎日2キロほど走っておりますから、誰が考えたって、そういう答えになるわけで、何故?もっと早くそれに気付かなかったのやら?それでも、何事にもめげないことが唯一の得意技でありますから、笑顔だけは1等賞でありました。
よーし今日はツイタチ餅でも買って帰るかな!
不動産部 加藤 一史
2010/09/12 なせばなる?
清少納言さんは「枕草子」の中で、秋は夕暮れ、だと申しておりますが、ラニーニャ現象によりまして、秋がこんなに暑くなるとは思いもしなかったのではないでしょうか?なんとか早朝だけは、涼しさを感じる今日この頃であります。夕暮れといえば、ふた昔前、(私が現役だった頃)「夕暮れ族」という、今で言う出会い系のはしりみたいなものを思い出します。(そんなの私だけでありましょうか?)吉行淳之介の「夕暮れまで」を思い浮かべた貴兄。なかなかの読書家であります。ちなみに愛人との情事を書いたこの小説から、「夕暮れ族」と命名されたそうであります。
さて、暑い、暑い、と言ってはみても、暑さが和らぐわけではございません。じゃあ、いっそのことほとばしる全身の汗を、ジャブジャブ出しちゃおうってなわけで、最近我が家では、家族で筋トレを始めたわけであります。
恥ずかしながら、我が中2の娘と小6の息子、腕立てが1回も出来ませんでした。我が家では、夏休みの初日、毎年自分の夏休み中の目標を発表させております。・・・で、息子は「体力作り」ということでありました。毎日朝5時に起きて、ジョギングをし、腕立て、腹筋、背筋、スクワットをやる!というのが息子の立てた夏休みの目標であります。・・・がしかし、三日坊主が親である私の取り柄と言っても過言ではございません。立てた計画をいかにして反故にするか?いかに実行したフリをするか?そのようなことに全力を傾けて生きて参りました次第でありますゆえ、・・・その私の極めて適当な遺伝子を継承した息子が、40日間、自分の立てたカリキュラムを全う出来るとは到底思えるものではございません。
隣でその発言を聞きながら「馬鹿!余計なこと言いやがって。」という様な顔をした、娘の一瞬の表情を、私は見逃しません。私はすかさず娘の方に視線をやり、(ここで娘も私への視線をずらし、何も聞いて無かった様な涼しい顔を作る。)「じゃあ、二人で一緒にやりなさい!」と言い放つと、「えぇぇぇぇ!!!」と不満に充ち充ちた雄叫びを娘はあげるのでありました。
自覚が無いので、いや、やる気が無いので、ジョギングなど続くわけがございません。・・・と、思いきや、言いだしっぺの息子は、目覚ましを5時に仕掛け、娘を起こしつつ、頑張って40日間(正確には30日位。)遣り遂げたのであります。娘は時々サボったり、走ったフリをしておりましたが、それでも仕舞いの方には、自覚が備わって頑張る姿を見せておりました。
息子は小学生最後の部活(サッカー部)を9月からに控え、レギュラーになるために足腰を鍛えたかったらしいのですが、どうやら根性も一緒に鍛えられたようであります。
娘は秋の体育祭が9月末にあるそうで、慢年ビリッケツの汚名を晴らすべく、少しは本気になったようであります。
9月1日からはメニューに鉄アレイや、握力を付けるために握る器具?や、腹筋のためのローラーマシン?をわざわざ買込み、追加したのであります。・・・で、息子たちが腕立てを出来るようになったのか?でありますが、息子は20回程度、娘は根っからの根性なしですので、それでも10回程度は出来るようになったのであります。なにしろ、曲げた腕を1回も伸ばすことが出来ないまま、地面にへたり込んでいたのでありますから、それを思えば飛躍的な進歩を遂げたのであります。
その勢いが手伝って、つい11月23日の名古屋シティーマラソンに、独断で家族エントリーしてしまった私のフライングに対して、ブーイングでせめてもの抵抗をみせる子供たちでありました。
読書の秋、スポーツの秋、食欲の秋、装いの秋。秋には集中力が増し、普段見過ごしている風景や香りにさえも、今まで気付かなかった発見があるものです。ちなみに私は、どこからともなく漂って来るキンモクセイの香りを嗅ぐと、秋の深まりを感じるのであります。
秋は夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、鳥の寝どころへ行くとて、3つ4つ、2つ3つ、など、飛び急ぐさえあはれなり。
現代風に訳すと、
秋は夕暮れの時刻がよい。夕日が差して、山の端がとても近く見えているところに、カラスが寝床に帰ろうとして、3羽4羽、2羽3羽などと、飛び急ぐ様子さえ、しみじみとものを感じさせる。
・・・だそうであります。
ちなみに清少納言さんは女性でありまして、小野妹子(オノノイモコ)さんは男性であります。(知らなかった方のために・・・。)
最後に一句。
腹回り 筋肉だよと ごまかすも 鏡に映る なまけものかな ・・・なまけものだよ! 合掌
不動産部 加藤一史
2010/06/25 「ゴォォォォォォォォール」
昨晩は本日のサッカー観戦の為、21時に床に就きましたが、楽しみで楽しみで、ついつい興奮してしまい、結局寝たのは23時を過ぎていたのであります。小さな子供と一緒で遠足の前日には、絶対眠れないタイプなのであります。しかもそういう特別な日はレム睡眠とノンレム睡眠のバランスがデタラメになり、3時半に目覚ましを掛けましたが、1時半、2時半、に目が覚め、結局3時20分に淀んだ気分で起床であります。
気合を入れるために小水をし、顔を洗い、あらかじめ用意しておいた新グロモントを一気に呑み干して試合に臨みます。既に勝利したのですから、試合内容など私がとやかく言うまでもございませんが、本田選手の直接フリーキックで先制した瞬間、私が雄叫びを上げたのは言うまでもございません。それより、この歴史的瞬間を私ひとりで観ていていいのだろうか?女房と子供たちにも味合わせてやらなければいけないんじゃないか?そういった疑念が頭をもたげたのであります。
すぐ隣りで寝ている女房に関しましては、私が雄叫びを上げた瞬間、金縛りにでもあったように、低いうねり声を上げ、まるで車にでも撥ね飛ばされ、放心のまま息絶え絶えといった状態でありました。似た者夫婦でありまして、女房も、心を熱くするスポーツ観戦や勝負事が大好きでありますから、観たい気持ちはヤマヤマのはずであります。がしかし、午前4時前であります。なにせ睡眠のゴールデンタイムなわけで、ちょっとやそっとの事では起きようがありません。
しからば次のターゲットは息子であります。私のこの歓喜を誰かに伝えたい。そんな想いであります。そういえば子供たちが産まれた時も、真夜中にもかかわらず、手当たり次第に電話を掛け捲ったのを思い出したのであります。これは一種の使命感であり、喜びを分けてあげたい、という一心なのであります。すぐさま息子の部屋に取って返し、息子を揺り起こそうとしましたが、熟睡とはまさにこのことでありまして、何の迷いも無く、無防備に寝入る姿を目の当たりに致しますと、息子が起きた瞬間にただひと言「鬼!」と言われそうで、さすがの私も鬼にはなれず、泣く泣く断念したのであります。
さて残るは娘であります。ところが来週から期末テストでありまして、昨晩も遅くまで問題集と戦っていたことを承知しておりますので、今度は「お父さん。頭おかしいんじゃない!」などと罵倒されることは、火を見るより明らかであります。あの貴乃花以来の鬼の形相を見るのも恐ろしいので、すごすごと退却し、結局試合終了まで、ひとりで3度の雄叫びを上げ、1度の感嘆を洩らしたのでありました。
次はパラグアイとの一戦であります。当然日本の勝利を信じております。当初の目標ベスト4もいよいよ真実味を帯びて参りました。本日は西友に行ってサムライブルーのTシャツを買ってこようと思います。
最後にひと言。「くさるな!中村俊輔。俺は応援してるぞぉー。」
不動産部 加藤 一史
2010/06/14 がんばれ日本!
本日は勿論サッカーであります。日本対カメルーン。4年間の集大成であります。後にも先にもこの試合、この90分に尽きるのであります。
オランダ戦、デンマーク戦、も大切な試合に変わりはありませんが、今日勝たなければ、前には進めないでしょうから、「必勝」のはちまきでも締めて、神風を起こして欲しいものです。「必勝」とは必ず勝つということですから、大変、重い言葉であります。
先日テレビでやっておりましたが、日本対カメルーン戦どっちが勝つか?予想アンケートであります。で・・・、その結果たるや、カメルーンが勝つと答えた方が多かったのであります。トホホ。日本人でありながら、自国より敵が勝つと思っている人の方が多いなんて、どう考えてもおかしいとしか言い様がないのであります。それじゃあなんですか?さながら「必敗」でありましょうか?
思い起こせば丁度50年前の6月、安保闘争が勃発します。、アメリカに守ってもらうという大義名分の中、有事が起こればアメリカに加担し、日本は再び軍国主義に走るのか?という国民の危惧が爆発したものでありますが、これこそが出来レースでありまして、国民からすれば、「必敗」そのものなのであります。国民がどれだけ叫んでみても6月19日午前0時に法案は自然成立、10年経てば安保の内容を見直せる条項も盛り込まれておりますが、50年経った今でも何一つ変わっておりません。(私個人としましては、安保があってよかったと思うのでありますが?)
話しが逸れましたが、要するに、それぐらい国民、延いては若者に「気概」があったということであります。更に遡れば、負けはしましたが、国のために命をかけて戦った兵隊さんたちは、よもや日本が負けるなんてことを思ったのでありましょうか?
確実に言えるのは、「平和」がもたらした負の遺産は、日本人の誇りの低下であります。1998年初めてワールドカップに出場し、2002年日、韓大会で若者は狂喜乱舞し、「必勝」を胸に秘め日本中がひとつになったのであります。2006年ドイツでは見事に期待は打ちひしがれて、今大会、親善試合で全く勝てない日本は、国民にまで見放されております。
なんとか「強い気概」を持って選手たちには、戦って頂きたいものです。この際、親善試合のことはキッパリ忘れて、代わりに神前試合だと思ってみては?
ちなみに、2002年6月14日、つまり8年前の今日、日本はチュニジアに2対0で完勝しております。日本にとっては、追い風でありましょう。これこそが「神風」
但し、1998年6月14日、つまり12年前の今日、日本はアルゼンチンに0対1で惜敗しております。
このデータでいきますと、勝つ時は、2対0、負ける時は、0対1ということになるのですが、データを都合よく足しますと、2対1で見事日本の勝利ということに、あいなります。私は当然、日本の勝利を確信しております。
「必勝」のはちまきと言えば、アニマル浜口氏。「気概だあ~!」なのであります。
不動産部 加藤一史
2010/06/05 住宅金融支援機構
毎回のように与太話を書き連ねて参りましたが、今日こそは、私が本当は、いや実は不動産屋だという証のようなお話しをひとつ・・・・。
皆様が住宅を購入されるにあたって、よっぽど裕福か、はたまた親御さんの援助でもない限り、ローンを組まれると思いますが、昭和時代に住宅を購入された貴兄、住宅金融公庫で借入されませんでしたか?・・・・・そうです。昭和時代には一番抵当、住宅金融公庫、二番抵当、銀行、よもや三番抵当がございますれば、いわゆるノンバンクという順番に優先順位が付いたものでございます。お上には銀行もひれ伏すしかございません。水は低い所へ流れる、と言ったところでしょうか?
住宅金融公庫は、長期、低金利、固定、この三つを最大の武器に致しまして、他の金融業者を圧倒してきたのでございます。今でこそ35年ローンなんて商品もございますが、そこは昭和時代。25年、30年までが限界でございました。もっとも人間50年と詠われた時代、(信長か?)55歳定年なんて企業も、まだまだ沢山ある時代でございますので、当然といえば当然でございます。日本人の寿命も75歳から85歳に変遷し、長生きする分、働かなくちゃならない。ましてや棲家を考えましたら、丈夫で、心地よく、快適に、なんて思うのが人の常であります。現在は80歳までに完済すれば35年を限界に、何年でも借りられます。従いまして、35年借りるには44歳までに借りれば(1歳繰り上げ計算)あとは馬車馬のように働いて頂きさえすれば、見事ローンを返し終わって5年後には安らかに眠れるというわけであります。
最近の芥川賞に「終の棲家」なんてのがございましたが、衣、食、住、の一翼を担う不動産屋としましては、不遇の昭和時代、一握りのバブリー、且つキンキラ金の同業者によりまして、ヤクザな商売、ブローカーなんぞと後ろ指を差され、辛酸を舐めながら、「今に見ていろ俺だって」こんなCMに勇気づけられながら、なんとか昨今、市民権を得ることが出来たのでございます。
現在、住宅金融公庫は、民営化のうねりの中、住宅金融支援機構と名を変え、(予断ですが私が中学生の頃、WHOを世界保健機構と習いましたが、現在、世界保険機関と言うらしいことをふと思い出しました。まさに、誰が?)名前なんぞ変えたところで、やっていることは殆んど変わらないわけで、結婚して苗字が変わっても、性格までは変わらないことと、似たようなもんでございます。もっとも、結婚した途端に豹変する方もいらしゃいますが・・・。いや、離婚した途端に生気を取り戻すなんてこともあるようですが・・・。
そんなこんなで、フラット35なのであります。フラットは英語で平坦なという意味です。機構が標榜するところの、長期、固定を象徴するネーミングにとりあえず拍手しつつ、私なんかフラットを文章で使う時、「どこそこにふらっと立ち寄る」なんて使い方をしますので、なんだか優柔不断なネーミングだなと思うわけであります。最近ではフラット35Sなんてのも出まして、(ちなみにSはスペシャルだそうです。)向こう10年マイナス1.00%なのであります。各銀行が10年固定を主流にした流れでございます。遅ればせながら、機構も自らの沽券にかけましてスペシャルを放ったわけであります。
ところが思ったほど借り手は現れず、時代の変遷と共に住宅金融支援機構そのものの存在さえ、蓮舫さんあたりに「仕分け」されてしまう日も、そう遠くはないのかもしれません。こんな悪口のようなことばかり書いて参りましたがしかし、はっきり言ってスペシャルはお得です。使わない手はございません。というのが本日の大本題であります。
金融機関によりまして相違しますが、現行2.4%~2.8%ぐらいの金利であります。これを10年間1.00%引こうというのですから、機構の担当者は、清水の舞台からダイビングする気持ちでスペシャルを放ったに違いありません。起死回生、七転八倒、転ばぬ先の杖、色々な見解はございますが、今年一杯(正確には平成23年1月3日まで)まで、スペシャルは続きます。裏を返せばあと半年しかございません。このスペシャルな機会に、どうですか?あなたも「おひとつ?」
但し、さすがに住宅金融支援機構。これこそプライドのなせる技。スペシャルを享受するには、スペシャルな物件でなければならないということで、(決してバブリーな物件でなくても構いません。)既存のフラット35に適応された条件に加え、省エネ、耐震性、バリヤフリー、耐久性、この四点の内、一点以上がクリアされたスペシャル物件でないと借入れすることは出来ません。
住宅金融支援機構より、お借入れになって住宅を買われようと思っておられる貴兄、その点にご留意されませんと、スペシャルを享受出来ませんのでご注意下さい。もっとも、10年、15年前を想えば、夢の3%でしたので、(永らく5%前後を維持しておりましたので。)金融関係者、不動産関係者にとりましては、3%を切るというのは、天変地異のようなものでございまして、100年に1度の大不況ならではの、超ド級スペシャルウルトラCと言っても過言ではございません。(ちなみに当社で販売中の犬山市羽黒の家は、勿論、スペシャル認定であります。)超ドSなんぞと言いますと、なんだか難しい、私の計り知れないジャンルのお話になりますので、またの機会にするとしまして、何故?私が長々と住宅支援機構のまさに支援めいたことを書いたかと申しますと、本日は、1950年6月5日、戦後のドタバタを乗り越え、もはや戦後は終わったと政府は言い放ち、高度成長時代に突入し、バブルで弾け、今では窮鼠猫を噛む、旧住宅金融公庫発足60周年、その日だからなのでございます。
還暦。そう人間で言えば還暦なのでございます。真っ赤なチャンチャンコが象徴するように、大赤字かどうかは存じませんが、韓国に次いで儒教を重んずる日本としましては、敬老という言葉を再認識すると共に、今一度、住宅金融支援機構を見直す時が来ているのではと思うのであります。
そこで私は考えました。ネーミングを変えたらどうかと。色々とアイデアは浮かびます。例えば、田中康夫風に言えば、「なんとなく35」。怠惰な感じが35年の借金を感じさせません。村上龍風に言えば「限りなくゼロに近い35」。低金利時代を強調します。落合恵子風なら「スプーン一杯の35」。究極の低金利。こんなに軽さを感じるネーミングは他に無いかと。皆様もこれだと思うネーミングがございましたら住宅金融支援機構の方へ助言なさってはいかがでしょうか?足蹴にされましても、責任は取りかねますが・・・。
最後にもうひとつ。超ドS級のを・・・、「縛り35」。35年間借金に拘束されますが、恍惚とした充実感を得られること享け合いであります。
不動産部 加藤一史