17年も経ちました!
今日は全国的に父の日であります。九州の方では大雨により、崩落などの被害が出ているようでありますが、名古屋では梅雨空がひと休みして、少し汗ばむ陽気であります。我が家では、父の日なんぞは、イベントの内に入りませんので、わんこだけは、留守番をし、私以下全員、仕事や部活動などに忙しくしております。
さて、世間様では、オウム事件の最後の逃亡者が逮捕され、ここ2,3日ワイドショーを賑わしておりますが、その折に必ず出てくるVTRが、1995年3月20日の地下鉄サリン事件であります。あれから17年余りが経過し、現在20歳以下の方は、リアルタイムでは、記憶にさえあるはずもございません。
17年前といいますと、バブルがややはじけておりましたが、不動産屋は、まだ好景気でありまして、私は今で言う、東京スカイツリーの辺りで仕事をしておりました(勿論、不動産屋)頃でありまして、地下鉄日比谷線は、仕事上毎日のように使っていたのであります。
事件の起きましたその日は、無遅刻無欠勤の上、真面目で通っておりました当時の私の部下が、定時の9時になりましても出勤しこなかったのであります。彼は地下鉄日比谷線で通っていたわけでありますが、私は彼から電話すら無いことに「何かあったのではないか?」と胸騒ぎしたのを憶えております。
滅多に点けることのない社内のテレビを、誰かが点けた・・・途端であります。眼に飛び込んできましたのは、道端に転げる人々、数えきれない程の救急車や消防車、手当てや看護をする人、社内に居た誰もが「何だ?これは・・・」・・・そう思ったのであります。
前出の部下の遅刻とテレビでの出来事が、即座に結びつくわけもなく、「火事か?」「交通事故か?」などと、憶測を廻らすのでありました。いずれにしましても、大変な事が起こっていることは、想像に難くないわけでありまして、どのチャンネルを回しましても、事件の中継ばかりで、私が小学校4年生の時の浅間山荘事件を彷彿とさせたのであります。
結局、前出の部下は事件に巻き込まれ(巻き込まれたと申しましても、自身が乗っていた車両にサリンが撒かれたわけではありません。)線路上でピクとも動かない車両の中で、数時間閉じ込められてしまったのであります。
当初の勤務先の近くには、オウムの亀戸道場なる拠点がありましたし、不動産屋でありますから、指名手配犯の写真を持って、警察が来られたこともございました。それから、異臭騒ぎがあって、亀戸道場には、警察の護送車が24時間張り付いておりました。ヘッドギアを装着した信者と睨めっこしてる場に居合わせたり、錦糸町の呑み屋さんに参りますと、信者の女の子がホステスさん(今で言うキャバ嬢?)のバイトをしていたりと、不謹慎ではございましたが、なかなかエキサイティングな職場環境でありました。
あれから17年、つい最近も、大阪ミナミで通り魔殺人が起きるなど、殺伐とした時代は続いておりますが、そんな時代に、今でもなんとかしぶとく生き延びているだけで「ヨシ」とするべきでありましょうか?
不動産部 加藤一史